北杜夫の躁鬱と父・斎藤茂吉の影|紫微斗数の命盤で読む「どくとるマンボウ」の二つの顔

『どくとるマンボウ』の笑いと、躁鬱の波——北杜夫という謎
『どくとるマンボウ航海記』で日本中を笑わせたユーモア作家。
『夜と霧の隅で』で芥川賞を受けた純文学作家。
そして、父や兄と同じく精神科医でもあった人。
その北杜夫は、壮年期から躁うつ病(双極性障害)の波と、生涯付き合い続けました。
躁の波が来ると、アイデアも行動も止まらなくなる。映画を作る資金のために株の売買にのめり込み、自宅を「独立国」だと宣言する。
そして波が引くと、一転して深い沈黙の底に沈む。
しかも彼は、その体験を隠すどころか、エッセイの中でユーモアたっぷりに書き続けました。躁うつ病に対する世間のイメージを和らげた作家としても知られています。
一人の人間の中に、なぜこれほど相反する世界が共存できたのか。
紫微斗数の命盤を開くと、その「二つの顔」の構造が、驚くほどはっきりと浮かび上がってきます。
北杜夫とは?代表作と家族のプロフィール
北杜夫(きた・もりお)、本名・斎藤宗吉。1927年5月1日、東京・青山に生まれ、2011年10月24日に84歳で亡くなりました。
東北大学医学部を卒業後、精神科医として勤めながら同人誌『文藝首都』で書き続けました。水産庁の漁業調査船・照洋丸に船医として乗り込んだ体験を描いた『どくとるマンボウ航海記』(1960年)がベストセラーになり、同じ1960年に『夜と霧の隅で』で第43回芥川賞を受賞しています。
主な代表作は次のとおりです。
- 『どくとるマンボウ航海記』(1960年)
- 『夜と霧の隅で』(1960年・芥川賞)
- 『楡家の人びと』(1964年・毎日出版文化賞)——斎藤家をモデルにした大河小説
- 『輝ける碧き空の下で』(1982年・1986年・日本文学大賞)
- 父・茂吉の評伝四部作(『青年茂吉』ほか・大佛次郎賞)
家族もまた、錚々たる顔ぶれです。祖父は精神病院「青山脳病院」を創設した医師・斎藤紀一。父は歌人で精神科医の斎藤茂吉。兄は精神科医でエッセイストの斎藤茂太。娘はエッセイストの斎藤由香。北杜夫は、この青山脳病院を生家として育ちました。
北杜夫の父・斎藤茂吉——「カミナリ親父」の巨大な影
父・斎藤茂吉は、近代短歌を代表する歌人であると同時に、医師として青山脳病院を率いた精神科医でもありました。
少年時代の宗吉にとって、その父は「恐ろしいカミナリ親父」でしかありませんでした。彼が夢中になっていたのは文学ではなく昆虫採集で、ファーブルのような昆虫学者になることを夢見ていたのです。
やがて旧制松本高校で父の短歌の素晴らしさに触れ、父を一人の文学者として尊敬するようになります。ところが進路を決める段になると、父は医学部への進学を一方的に命じました。
作家デビューの際に「北杜夫」というペンネームを使ったのも、「親の七光り」と言われるのを嫌い、茂吉の息子であることを隠すためだったといわれています。
命盤の父母宮(丑)には、この複雑な父子関係がそのまま映し出されているように見えます。
父母宮に並ぶのは太陽(不)と太陰(廟)です。父を象徴する太陽は輝きにくい位置にあり、官禄宮からは化忌も飛び込んでいます。一方で太陰には生年の化禄がつき、父から受け取るものの大きさも示しています。
さらに父母宮からは、化忌が福徳宮——心の奥の領域——へと飛んでいます。
尊敬と畏れ。受け取った才能と、背負わされた重さ。父という存在は、彼の心の深いところにずっと居座り続けたのかもしれません。
晩年の北杜夫が父の生涯を描いた評伝四部作を書き上げたことは、父から「受け取ったもの」を言葉にして返していく作業だったようにも読めます。
命宮:武曲(旺)・天府(廟)——鋼の意志と、自分への厳しさ
北杜夫の命宮(その人の本質的な気質と人生のテーマを示す場所)には、武曲(旺)と天府(廟)という二つの星が同居しています。
武曲は、行動力と実行力の星です。目標を定めたら一直線に進む、鋼のような意志を持ちます。
天府は、安定と秩序を好む、慎重で堅実な星です。
表面だけ見れば、「計画性があって、落ち着いていて、しっかりした人」に見えるでしょう。医師として働きながら膨大な作品を書き続けた勤勉さも、この命宮らしい姿です。
でも——ここに秘密があります。
命宮の武曲には「自化忌」がついています。簡単に言うと、自分自身に対して過剰に厳しくなり、内側からじわじわと消耗していく傾向のことです。
スーツを着たロックミュージシャンを想像してみてください。
ステージでは完璧に演奏し、プロとして振る舞う。
でも舞台裏では、誰も見ていないところでギターを叩き壊したくなるような衝動を抱えている——。
北杜夫の命宮は、まさにその矛盾を体現していたのかもしれません。
福徳宮:貪狼(平)と火星——躁鬱の波を生む「ターボエンジン」
心の豊かさや精神的な傾向を示す福徳宮には、貪狼(平)と火星が並んでいます。
貪狼は、好奇心・欲望・芸術的な才能の星です。昆虫、文学、SF、阪神タイガース、旅——北杜夫の尽きない好奇心そのものといえます。
その貪狼の輝きは「平」です。いつも同じ明るさで光るというより、条件によって大きく振れやすい状態です。そこに、瞬発的な爆発力を持つ火星が加わります。
さらにこの福徳宮には、田宅宮と父母宮の両方から化忌が飛び込んでいます。一方で財帛宮からは化禄、子女宮からは化権も入ってきます。
エネルギーが四方から流れ込み、しかも出口が一定しない。そんな「心のエンジンルーム」の構造です。
創作モードに入れば、ターボ全開で書き続けられる。
でも、そのエンジンが止まったとき、どこにアクセルがあるのかさえわからなくなる。
躁と鬱の波。あの独特のユーモアの奥に漂う、どこか切迫した哀愁。それは、この福徳宮の配置と重なって見えます。
田宅宮:天機(旺)・巨門(廟)——「心の家」と「本当の家」
田宅宮は、心の拠り所であると同時に、「家」や「住まい」そのものも表す場所です。
北杜夫の田宅宮には天機(旺)と巨門(廟)が同居し、さらに生年の化科(天機)と化忌(巨門)が同時にかかっています。
天機の化科が表すのは、回転の速い知性と学びの才能です。
巨門の化忌が表すのは、言葉を尽くしても整理しきれない、心の奥の感情のもつれです。
才気の輝きと、終わらない内なる問いが、同じ部屋に住んでいる状態です。
興味深いことに、大限の流れを見ていくと、躁の波が大きな出来事になった時期に、化忌が繰り返しこの田宅宮——つまり「家」——に入ってきます。
大限で読む北杜夫の人生と、躁鬱の波
13〜22歳(1939〜1948年):昆虫少年が、医学部へ
この大限では、化忌が文昌(学問・文才の星)に入ります。しかもそこは、外の世界を表す遷移宮にあたります。
戦争が激しくなり、1945年5月の空襲で青山の生家は焼失し、大切にしていた昆虫標本の多くも失われました。松本高校でトーマス・マンに出会い、書くことへの思いが芽生えます。その一方で、進路は父の命令によって医学部に決まりました。
学びたい道が、時代と父という「外からの力」に左右された十年でした。
23〜32歳(1949〜1958年):破軍の大限——医師と作家の二足のわらじ
大限命宮は戌に移り、破軍(旺)が入ります。破軍は、古いものを壊し、新しい自分を作り直す星です。この戌は本命の夫妻宮であり、身宮でもある場所です。
仙台で医学を学びながら小説を書き始め、1954年には『幽霊』を自費出版しました。卒業後は慶應義塾大学病院で精神科医としての道を歩みつつ、同人誌での創作を続けています。
そしてこの大限の終わり、1958年11月に船医として照洋丸に乗り込みます。この航海の途中、ドイツ・ハンブルクで、のちの妻・喜美子さんと出会いました。身宮でもある夫妻宮が大限命宮となった十年の締めくくりに、人生の伴侶へとつながる航海が始まったのです。
33〜42歳(1959〜1968年):「どくとるマンボウ」の大ブレイク
この大限では、化禄が本命の命宮(武曲)に入り、化権が福徳宮の貪狼に入ります。才能の実りが本人のもとに返り、好奇心のエンジンにも力が加わる配置です。
実際、1960年に『どくとるマンボウ航海記』がベストセラーとなり、同じ年に芥川賞を受賞しました。1964年には『楡家の人びと』を発表し、一躍人気作家となっています。
ただし同時に、化忌は表現と感受性の星・文曲に入り、それが大限命宮に重なっています。
表舞台で輝けば輝くほど、内側の繊細な部分がすり減りやすい。北杜夫が躁うつ病を発症したのは「壮年期」とされていますが、命盤はこの頃の彼に、そんな注意書きを添えているようです。
43〜52歳(1969〜1978年):躁の嵐と、「家」を賭けた株騒動
この大限では、化禄が福徳宮の貪狼に入ります。好奇心と欲望の星に、さらに燃料が注がれる形です。一方で化忌は天機に入り、それが本命の田宅宮——「家」の宮——に落ちます。大限の財帛宮には、予想外の出費や損失を暗示する地劫も控えています。
1976年、躁状態にあった北杜夫は、チャップリンのような喜劇映画を作ることを夢見て、その資金づくりのために株の売買にのめり込みます。結果は巨額の損失でした。世田谷の自宅を抵当に入れ、出版社や銀行、さらに作家仲間の佐藤愛子からも借金を重ね、ついには自己破産と準禁治産宣告に追い込まれました。
夢を膨らませる福徳宮の化禄と、「家」に落ちる化忌。命盤の流れと実際の出来事が、これほど重なる例も珍しいかもしれません。
当時、彼は毎朝キッチンに妻あての手紙を残していたといいます。書いてあるのは、いつも同じ一文でした。「今日からおとなしくなります。」
一方で、この時期には新潮社から全集が刊行され、父子そろって生前に全集を完成させた初めての例にもなっています。嵐の中でも、書く力は途切れていませんでした。
53〜62歳(1979〜1988年):自宅が「独立国」に——化忌、再び「家」へ
この大限では、化忌が巨門に入ります。巨門は、もともと生年の化忌がついている星です。生年と大限の二つの化忌が本命の田宅宮で重なり、しかもそこは大限の財帛宮にもあたります。「家」と「お金」が同じ場所で揺さぶられる配置です。
1981年1月1日、北杜夫は自宅を領土とするミニ独立国「マンボウ・マブゼ共和国」の建国を宣言し、主席を名乗りました。独自の紙幣まで作られたこの騒動も、極端な躁状態のさなかの出来事だったとされています。
それでも同じ大限の中で、化科は天機に入り、知性の光は失われませんでした。ブラジル移民を描いた大作『輝ける碧き空の下で』を書き上げ、1986年に日本文学大賞を受賞しています。作家・埴谷雄高との対談集『さびしい文学者の時代「妄想病」対「躁鬱病」対談』(1982年)では、自らの躁鬱を率直に語りました。
心の嵐を隠すのではなく、言葉にして差し出す。この田宅宮の構造が求めていたのは、まさにそういう生き方だったのかもしれません。
身宮は夫妻宮・破軍(旺)——家族とともに書いた「最後の章」
紫微斗数には、人生の後半に浮かび上がるテーマを示す「身宮」があります。北杜夫の身宮は夫妻宮(戌)で、そこには破軍(旺)が坐しています。
注目したいのは、田宅宮と父母宮からは化禄が、官禄宮からは化権が、そろってこの夫妻宮に流れ込んでいることです。家の豊かさも仕事の力もパートナーのもとに集まっていく。家庭を支える軸が配偶者にある、と読める配置です。
実際、躁の嵐の時代には、家族が大きな苦労を背負いました。娘の斎藤由香さんは、その経験から、作家とは違う「安定した」会社員の道を目指したと書いています。
それでも晩年、父と娘は対談集『パパは楽しい躁うつ病』(2009年)を出版します。かつて家族を振り回した病を、家族と一緒に笑いながら語ったのです。
「一人で抱える」のをやめ、身近な人と一緒に自分の波を語れるようになったこと。それこそが、破軍の身宮が最後に辿り着いた「再生」だったのではないでしょうか。
2011年10月24日、北杜夫は84歳で亡くなりました。その3週間ほど前には、大好きなコガネムシの新種に自分の名前がつけられたことを祝う式に出席していたそうです。
あなたにも「二人の自分」がいませんか?
北杜夫の物語を読んで、どこかで「わかる」と感じた方はいませんか?
エネルギーが満ちているときは止まらないほど動けるのに、
ふと糸が切れたように何もできなくなる日がある。
才能があると言われることもあるのに、どこか「本当の自分はここじゃない」という感覚が消えない。
真面目に、誠実に生きてきたはずなのに、
なぜか「自分の人生、これで合っているのかな」という問いが、頭の片隅から離れない。
もちろん、心や体のつらさが続くときは、まず医師や専門家を頼ってください。そのうえで知っておいてほしいのは、あなたの「波」には、あなただけの構造があるかもしれない、ということです。
北杜夫の命盤が彼の人生を映し出していたように、
あなたの命盤にも、あなたの「なぜ」への答えが、静かに待っているかもしれません。
紫微斗数は「禍福を占うもの」ではありません
「占い」と聞くと、「良いことが起きるか、悪いことが起きるか」を知るものだと思っている方も多いかもしれません。
でも、シビシビが大切にしているのは、占いは信じるものじゃない、使うデータだという考え方です。
紫微斗数は、あなたという人間の「取扱説明書」を読み解くようなものです。
どんな気質を持って生まれてきたのか。
どの時期に、どんなエネルギーが動くのか。
あなたの「強さ」と「消耗のパターン」は、どこから来ているのか。
それを知ることで、自分を責めるのをやめられます。
そして、自分の流れに乗って生きられるようになります。
※本記事は、公開されている生年月日をもとにした紫微斗数による命盤の分析であり、個人の性格や未来、事実を断定・保証するものではありません。あくまで占い・エンターテインメントの一つとしてお楽しみください。
【無料鑑定】あなたの「波」の地図を読み解きます
シビシビでは現在、生年月日と出生時間をもとにした紫微斗数の無料鑑定をお受けしています。
わかるのは、あなたの命宮と福徳宮の気質、そして十年ごとに切り替わる大限の流れです。いつエネルギーが満ち、いつ休むべき季節が来るのか。それがあなただけの「人生の地図」です。
地図を手にしたあとは、こんなふうに変わっていくはずです。
「また落ちた」と自分を責める代わりに、「今は充電の季節」と受け止められる。
エネルギーが満ちる時期には、迷わずアクセルを踏める。
自分の強みが、どの場所で一番輝くのかがわかる。
北杜夫の物語が1927年5月1日という誕生日に刻まれていたように、あなたの物語も、生まれた瞬間から始まっています。下のフォームに生年月日と出生時間を入力して、その地図を開いてみてください。
自分の波を味方につけて、軽やかに進める自分まで、あと地図一枚。